権利者調整が進まず再開発準備組合の解散を決めようとしていた時に、
事業協力者のゼネコン担当者から
「このままこの地区をスラム化させるのは忍びないので、何とか手伝ってほしい。」
と依頼があり、話が行き違っている権利者のところへ通い続けて一年。
始めは、家に上げてもくれず店先で立ったまま話を続けていたが、
一年後には缶ビールを出してくれるほど心が通じるようになった。
完成後に自宅に届いた封書には、
「ありがとうございます。参加してよかったです。」と書かれていた。
この手紙は今も、自宅の机の中に大事に保存してある。